【浅草散策】浅草名所七福神 巡り

浅草には神社仏閣が多数点在し、縁結びや商売繁盛、無病息災など様々な開運にご利益があるとされるパワースポットがたくさんあります。2021年のお正月、江戸時代より霊験あらたかな福の神として親しまれてきた「浅草名所七福神詣で」を行いましたので、ご紹介いたします。

縁結びで有名な今戸神社の「石なで猫」
なでると福を招いてくれて、携帯の待ち受け画像にして毎日祈ると願いが叶うとされる
酉の市で有名な鷲神社の「なでおかめ」
鼻や頬など、なでる場所により金運や健康など異なるご利益が得られるとされる

■七福神巡りとは

七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿神(えびすしん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称。
七福神を祀っている寺社を巡り、参拝することを七福神巡りと言うそうです。

七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われ、江戸時代に各地で広まった風習だそうで。とくに正月松の内(一般的に元旦~一月七日)に巡拝して一年の福徳を願うようになり、今日の七福神詣での形となったとのことです。

■浅草名所七福神(あさくさなどころしちふくじん)とは

浅草名所七福神は九社寺あり、浅草界隈をぐるっと約7キロで巡る範囲に点在しています。なぜ七福神なのに九つの寺社かというと、
・九という数字は、数字の中でもっとも大きく、究極の数字とされている。
・九という字は鳩という字に使われ、鳩という字は“集まる”という縁起のいい意味を持つ。
といった理由があるそうで。

「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という古事に由来しているようです。

寿老人(じゅろうじん)と福禄寿(ふくろくじゅ)を祀る寺社がそれぞれ2社あり、全部で九社寺となっています。

■巡る順番やコースについて

浅草名所七福神詣では、特に巡る順番やコースは決まっていないそうで、どこの寺社から回っても問題ないとのことです。歩いてすべてを巡る場合の目安は約2時間半(参拝時間は除く)で、距離は約7kmほど。1日で巡っても、数日かけて巡っても良いとのことなので、私は1月4日~7日にかけて4日間で9寺社を参拝しました。

また、七福神巡りの期間というのは、正月松の内(元旦~一月七日)が一般的なようですが、浅草名所七福神詣では通年で回ることができ、授与品の御朱印や福絵馬をいただくことができるそうです。

★授与品
私はオリジナルの色紙(300円)に、各寺社で御朱印(各300円)をいただきました。

色紙以外にも、各社寺で福絵馬をいただき完成させる福笹や、福絵があります。↓詳しくは以下をご覧ください。
浅草名所七福神

浅草名所七福神サイト (http://www.asakusa7.jp/map.html) より

以下にて、私が参拝した時の様子を写真で簡単にご紹介いたします。私は近所の利を生かして、かなりバラバラな順番で回りましたので、浅草寺からぐるっと半時計周りに巡る順番にして掲載しています。

1.浅草寺(せんそうじ)

~大黒天~ 財宝・開運・子孫繁栄の神

連日多くの人で賑わう浅草寺の本堂
本堂の北西に立つ影向堂で御朱印をいただく

浅草観光と言えば、ほどんの方が訪れる浅草寺。
1400年近い歴史をもつ東京最古の寺院で、創建は628年(飛鳥時代)とされています。江戸幕府がはじまると、関ヶ原の戦い時に祈祷を行い勝利したことや、江戸城の鬼門に当たるなど、さまざまな理由から浅草寺は祈願所に定められ、江戸の鎮守として将軍家から絶大な崇敬を受け繁栄したそうです。
現在でも、お正月三が日の初詣には、例年約290万人が訪れる人気のスポットです。

大黒天が祀られているのは、本堂の左奥(北西)に立つ影向堂(ようごうどう)。浅草寺の朱印所で、浅草名所七福神の御朱印もこちらでいただけます。

▸浅草寺 公式サイト

2. 浅草神社(あさくさじんじゃ)

~恵比寿神~ 商売繁盛・五穀豊穣・大漁祈願の神

浅草神社の参道と、挟み向き合う狛犬。
手水舎にはお正月らしく紅白の葉牡丹が。

浅草神社は、浅草寺 本堂の右側(東)にあり、浅草寺の草創に関わる檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟と土師真中知(はじのまなかち)の3人を祀っている神社。三社さまの愛称で親しまれています。
例年、多くの人で賑わう浅草神社の祭礼「三社祭」は、鎌倉時代に、神輿を船に載せて隅田川を渡御した船祭を起源とするそうで、例年5月に行われています。

▸浅草神社 公式サイト

3.待乳山聖天(まつちやましょうでん)

~毘沙門天~ 福徳・厄除けの神

待乳山(まつちやま)は標高約10mの丘で、推古天皇の時代(595年)に、地中から忽然湧き出た霊山。その時、金龍が天から降りてきて山を守護したと伝えられているそうです(ロマンチック!)。
その6年後(601年)の夏、この地方が大旱魃に見舞われたときに、聖天様(大聖歓喜天;だいしょうかんぎてん)がこの山に降臨されて苦しむ民をお救いになられたそうで、これが聖天さまが待乳山に鎮座された起源であるといわれているそうです。

ちなみに、聖天様とは。
仏様である十一面観世音菩薩(11の顔を持ち、求められればどんな姿にも変身して人々を救うと言われている)さまが化身され、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)となられた神様のこと。仏様のご慈悲と、神様の威徳とを兼ね備えられたお方で、衆生の迷いを救い、 願いを叶えさせてくださる、大きなお力を持っておられる神様。

寺務所ではお供え用の大根が販売されている
提灯に描かれた巾着

境内各所で見られる「大根」と「巾着」のモチーフは、聖天様の大きなご利益を端的に表したものだそうです。

大根
深い迷いの心、瞋(いかり)の毒を表し、大根をお供えすることになって、聖天様が心の毒を清めてくださるそうです。さらに、その功徳によって、心身を健康にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合をご加護いただけるとのことです。

巾着
財宝を表し、商売繁盛・事業繁栄のご利益を示しているそうです。



ちなみに、私も大根をお供えさせていただきました~。


▸待乳山聖天 公式サイト

4. 今戸神社(いまどじんじゃ)

~福禄寿(ふくろくじゅ)~ 長寿延命・立身出世・子孫繁栄の神

良縁、恋愛成就で人気の今戸神社は、昨年放送されたTVドラマ「恋はつづくよどこまでも」のロケ地としてたびたび登場したことでも有名です。
招き猫(人形の)発祥の地とされ、境内には大小多数の招き猫の人形が置かれ、招き猫をモチーフにした絵馬やお守り、おみくじなども多数揃えられています。
冒頭でご紹介した「石なで猫」も本殿脇に置かれており、自由になでなでしたり撮影したりすることができます。

御祭神として、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;男神)、伊弉冉尊(いざなみのみこと;女神)という日本最古の夫婦の神様が祀られています。この夫婦神は、天神の命を受けて、日本の国土を創成し、諸神を産み、山海や草木を生したといわれる神で、古くから縁を結び、生産の基盤を固める神として崇められてきたそうです。
この夫婦神の物語、ちょっと調べると、結末は哀しい(というか怖ろしい…)ものだったりするようで。神話とは言え…考えさせられます。

▸今戸神社 公式ホームページ

5. 橋場寺不動院(はしばでらふどういん)

~布袋尊(ほていそん)~ 笑門来福・夫婦円満・人徳の神

奥ばった境内は、静かで心地よい空間
控えめな参道は、うっかり見逃してしまいそう

隅田川沿いの住宅街にひっそりと佇む、厳かな雰囲気の素敵なお寺です。初めて参拝しましたが、個人的にはとても好きになりました。
橋場不動尊とも呼ばれ、現在は比叡山延暦寺の末寺となっているそうです。

明治末年の大火や関東大震災、東京大空襲の際にも、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍をまぬがれたそうで、霊験あらたかな橋場不動尊として、現在でも広く人々から尊信されているようです。

▸橋場不動尊 公式サイト

6. 石浜神社(いしはまじんじゃ)

~寿老神(じゅろうじん)~ 長寿延命・諸病平癒の神

※寿老人(じゅろうじん)は寿老神(じゅろうじん)とも書くそうで、同じ神さまです

広々とした敷地に、立派な石の鳥居

奈良時代(724年)に、聖武天皇の勅願により鎮座(創建)され、以来約1300年の歴史を持つ由緒ある神社です。鎌倉時代には、関東武将からの崇高も篤く、大社として発展したそうです。東に隅田川、西に富士山、北に筑波山を望む景勝地にあり、江戸時代には多くの参拝者が訪れ、数多くの浮世絵などにも描かれているとのことです。

バス以外の公共交通機関からは、ややアクセスしにくい(歩きます…)ロケーションになりますが、広々とした境内にはおしゃれな茶屋があり、お団子などの軽食から食事も食べられるので、休憩やランチに併せて訪問するのもオススメです。

▸石浜神社 公式サイト

7. 吉原神社(よしわらじんじゃ)

~弁財天(べんざいてん)~ 財運・音楽・芸能の神(七福神の中で唯一の女神)

吉原神社の周辺は、江戸時代に吉原遊郭(新吉原)があった場所で、廓の守護神として、入口(大門/おおもん)および廓内の四隅に5つの稲荷神社がお祀りされていたそうです。

吉原神社は、これら5つの神社と、遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社で、5つの神社の御祭神である倉稲魂命(うがのみたまのみこと)と、弁財天の御祭神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしているそうです。とりわけ両神様とも、吉原遊郭の遊女等による信仰を集めたことから、現在でも女性の様々な願いを叶えてくださることで知られているそうです。

■倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
五穀豊穣をつかさどる神様。「お稲荷さん」と呼ばれ、古くから家内安全・商売繁盛の神様として信仰されています。

■市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
広く開運・財運・芸能上達などの恵みを与えてくださる神様で、「弁天様」としても広く親しまれています。

▸吉原神社 公式サイト

8. 鷲神社(おおとりじんじゃ)

~寿老神(じゅろうじん)~ 長寿延命・諸病平癒の神

鷲神社は酉の市の起源発祥とされ、江戸時代より11月の酉の市(とりのいち)には縁起物の熊手を買い求めるたくさんの人々でにぎわってきました。
御祭神は、開運・開拓・商売繁昌の神様としてこの地に祀られた天日鷲命(あめのひわしのみこと)と、日本武尊(やまとたけるのみこと )。日本武尊は、東征の戦の帰途、境内の松に熊手をかけて勝ち戦のお礼参りをされたそうで、その日がちょうど11月の酉の日だったことから、その日を神祭の日と定められ、酉の市のはじまりとなったそうです。

「なでおかめ」の云われ

おでこをなでれば賢くなり
目をなでれば先見の明が効き
鼻をなでれば金運がつく
向かって右の頬をなでれば恋愛成就
左の頬をなでれば健康に
口をなでれば災いを防ぎ
顎(あご)から時計回りになでれば物事が丸く収まると云う

▸鷲神社 公式サイト

9. 矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)

~福禄寿(ふくろくじゅ)~ 長寿延命・立身出世・子孫繁栄の神

矢先稲荷神社は、寛永19年(1642年)に徳川家光が武術興隆の目的で創建した浅草三十三間堂の守護神として祀られた、稲荷大明神を起源とするそうです。

その後、元禄11年(1698年)の大火にて三十三間堂も稲荷大明神も焼失。三十三間堂は深川へ移転したそうですが、稲荷大明神はこの地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から矢先稲荷神社と称したと言われているようです(諸説あり?)。

▸矢先稲荷神社 公式サイト?

当店(和食器のお店 Soil浅草)は、浅草側から矢先稲荷神社へと向かう「かっぱ橋本通り商店街」に面した十字路の2階にあります。矢先稲荷神社までは徒歩5分程度(浅草寺まで徒歩約10分)ですので、ぜひ参拝の途中にてお立ち寄りくださいませ。お待ちしております♪

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